Amma(アマ)2009.9 偉大な者が例でもって手本を示せば、世界中の人々はそれを基準に従うことになる。 最上の者が何かを行えば、他の人々も同様にする。彼が手本を示せば、人々はそれに従う。(上村勝彦訳)  そんなに遠い昔の話ではなく・・・1953年9月27日に南部インドのケララの人里離れた入り江の近くの貧困村で、Sri Mata Amritanandamayi (”Amma” または "Hugging Saint" という愛称で知れれる)は生まれました。 彼女は幼年期から、静かに坐っているか、祈りの形としてクリシュナに奉げて歌うことに長い期間を費やしていました。 彼女が作り出す神聖な雰囲気や彼女が瞑想状態にあることは、彼女の家族にとっては異様なことでした。 そして、そのことにより虐待を受けるなど困難な幼少時代を過ごす事となりました。  彼女が9歳になる頃、母親が病気になり、彼女は肉親や7人の兄弟達の世話をする為に学校を辞めました。 た とえ家族内でのどんな嫌な仕事が積み重なろうとも、彼女は決して不満を言わずに幸せそうにやるべきことをこなしました。 彼女は親戚の家にもお手伝いしに いくようになりました。 彼女が料理を作りに行ったり、掃除をしに行ったり、衣服を洗いに行ったり家から家へと移動するにつれて、苦しみや貧困を周りに見 ることにより、困ったり当惑するようになりました。 彼女は自分自身、ごくわずかしか持っていないのに自分の小さな部分の食事の米を、飢えている人々と シェアしたり、彼女の家族の服を集めてそれらの服を貧しい人々へと与えたり、年配者の入浴させたりしました。 母親の腕の中へと心地好さを求めてゆく子供 のように、彼女の村の人や周りの人々は癒しと抱擁を求めて幼い少女のもとへと訪れるようになります。 これが彼女が ”ダルシャン” を与え始めたいきさ つです。 ”Darshan" とは、神聖な雰囲気を持っているとか聖なる者の面前にいるということを意味します。 彼女はダルシャンに加えて愛に満ちた抱擁もします。   最近においては幼少時代とは違って、人々は彼女の祝福の言葉を求め続けます。 しかし、彼女の親密な抱擁の 形で自分の愛情を差し出すのは世界中を旅するようになった今です。 その人が若かろうが老いていようが、健康であろうが病気であろうが、富んでおろうが貧 しかろうが、彼女は同じ愛情と暖かさで彼らを受け入れます。 彼女は我々がどんな見た目であろうと、どれだけ持っていようとも、どこから来ようとも気にし ません。 彼女は母親が自分の子供を抱擁するようにすべての人を抱擁します。  ヨガはタントリックな実践です。そのサンスクリット語の "tantra(タントラ)" は ”織り合す”を意味し、継続性を象徴し、また、身体を糸として織り合わすことを意味します。 これらの意味はサンスクリット語の語源の "tan" と "tra" から来ています。 "Tan" は「伸びる」とか「広がる」、 "Tra" は「超えていく」を意味します。 彼女は出会うすべての人々を受け入れ、開かれた両腕によって抱擁することにより、彼女と相手とのスペースを超えて広がっ て行き、そのことがコネクション(繋がり)を織り合わせていきます。  ヨガの目標はすべてのモノ(いきとし生けるもの)にある偉大な本質を知ること、すべてのモノが繋がっている と気づくことにあります。 この智慧を得る為に、自分自身の何かを差し出すことによって自分と他のすべてのモノが繋がり始める手助けになります−心からの ことば、優しい触れあい、感謝の微笑−。 周辺の景色としてのみ人々を見るのではなく、我々がヨガのクラスで一人一人に気づいていることを知らせるように 周りの人々に対してちゃんと顔で向き合って気づいていることを知らせて、我々自身と他の人々との間の溝を縮め始めることにより、我々は一体感、すなわちヨ ガを体験し始めます。  Amma は他の人との繋がりなしにはヨガの進歩は起こりえないということを我々に伝えてくれています。たとえどれだけ我々が瞑想を練習しても、アーサナを練習し ても、奉げる歌をチャンティングしても、我々が他の人々への手を差し伸べる気持ちを持ってなければ、防波堤にくくり付けられたまま漕ごうとしているボート のようなものです。 この尊い者の神聖な例えは、我々の心というボートを防波堤から解き放ち、我々の内側にある神聖なものを大いなる神聖なものへと漕がす でしょう。 我々の気高さが現れるように、Amma の偉大な聖者としての人生を讃え、我々自身、彼女の教えに没頭しようではないですか。 -- Rima Rabbath, September 2009 日本語訳 Yoshi(Mysooul8)