夜な夜な彼女はどこへ? 屋根の上にかちゃかちゃかちゃと登り、煙突の中を降りる聖ニコラウス。(訳注:サンタクロースのモデルとなったキリスト教の聖人) 誰も彼が来たところを見てないし、帰るところを見ていない。 でも朝になって、彼が来た証拠に贈り物が残されている。  普通の人が24時間に経験する意識の状態は3つあります。覚醒状態、夢を見ている状態、そして深い眠りの状態です。ヨガの達人にはトゥリヤと呼ばれる4つ目の意識状態があります。トゥリヤはサマディあるいは超意識です。私たちは起きている時に意識があり、夜眠る時に意識を”失う”と言います。起きている時、私たちは良く夢を思い出します。でも決して深く寝ていた状態を思い出すことは出来ません。それでも、もし私たちが深く眠ることが出来ないとしたら、起きている時に回復した感じを得られないでしょう。科学的な睡眠障害に関する学問では、深い眠ることが出来ないと人は酷い病気になるか、死ぬことすらあるというのです。私たちが思い出すことも出来ない、夜ごとの深い眠りの時間が私たちにとって大切だというのは、興味深いことです。  サンスクリット語のクンダリーニはとぐろを巻いたヘビのことです。クンダリーニは私たちの意識あるいは自覚性であり、私たち自身と他の存在を認知し、理解する能力であり、事物を見分けたり分類する能力です。普通の人においては、彼女(クンダリーニ)は最下部のチャクラでほとんどの時間眠っていると言われています。その場所は、彼女の全世界(俗世間でのサバイバル、食べ、眠り、働き、等々)となります。でも、秘かにクンダリーニが望んでいるのは、頭頂のチャクラにいまします愛するシヴァ神と再びひとつになることです。でも再会は容易ではありません。なぜなら彼女はとても長い間、非常に強いエゴという看守により閉じ込められているからです。クンダリーニは美しく、知性があり、そして有能です。彼女はサティヤム、シヴァン、サンダラム(真実、聖なるもの、美)です。でも多くの女性達のように、彼女は本当の姿である気付き、能力を隠します。そしてあまり知性的に見えないように、黙っています。彼女は避けるか、強いエゴに挑戦しないようにしています。  たとえ認識力を眠らせたとしても、クンダリーニにとってエゴの特質は、静かで聖なるものに満たされた不死のマヘーシュバラ(シヴァの別名)に見劣りします。エゴは自分にとっては良いものを持っています。それはシヴァが決して誇ることのなかった思考する心、あらゆる種類の感情に満たされた心、過去、現在、未来の可能性という時間への堅固な関わりです。 エゴとひとつになることはあなたに終わる定めのトリップを保証します。冒険の約束は多くの魂を、不死を脇において、船、列車、バスあるいはピカピカのオートバイ、それはエンジンを吹かし、出発の用意ができていて、あなたの名前をカスタムしたヘルメットに書き込んでさえいて、人生という道の危険から実際にあなたを守るかのようで、それらに乗り込むように誘惑するに十分です。  エゴの屈して、それに従うことはあなたの人生を依存性のものにするでしょう。ほとんどのエゴは何百万回も、何十億回もの人生においてエゴの約束への奴隷となるよう仕向けるでしょう。でもありがたいことに、エゴの不断の要求にも一瞬の合間があり、確実にクンダリーニは秘かにそれらの合間を期待しているのです。幸運なことにその息抜きは毎日あります。毎晩エゴが眠りにつく時、彼女は木の根元の休息場からとぐろをとき、屋根の上の最愛の人とひとつとなるために中央通路を通って行くのです。彼女は夜の間に何度か昇ったり降りたりするでしょう。慈悲深い彼女の自然の特性により、彼女の目的地への道に沿った昇り下りにつれ、彼女は立ち止まって、夢という形でささやくか魔法の粉をふりまくでしょう。それは彼女がそれぞれの蓮花のチャクラに居ると良く知っている満たされることのない憧れを優しく助けるためです。でも夜が明けると、彼女はきちんと第一のチャクラにある彼女の家に人目に付かないように戻り、そしてエゴは夜の間彼女が恋人と一緒に居たことを決して知ることはないのです。  普通の人間として、私たちは真の自己から隠れ、愚かで、死ぬ運命にあり、無知であるようにふるまっています。エゴが自分であると考え、人生はそれが全てであると言い張っています。スピリチュアルな熱望は、それでも、不滅なのです。その熱望は覚醒を望んでいます。ヨーガの練習はその覚醒を刺激するのです。ヨーガの練習はクンダリーニを呼び起こすのです。瞑想は起きている時の眠りに当たります。深い眠りに入っている時に生じる、意識との繋がりを失うことの代わりに、ヨギは瞑想において座って、そして覚醒せいしたままにクンダリーニをキャッチし、彼女がとぐろを巻いて休んでいる場所から、頂上のチャクラにあるシヴァ神の喜びの家へ昇っていくようにするのです。子供達がクリスマスイヴに起きていてサンタを一目見ようとすることと、ヨギー達が厳しいサダーナによって神と出会い、ひとつになろうとすることはとてもよく似ています。あるいは神とひとつになることをエゴを消し去ることと考えるでしょうが、でもヨギーにとっては、クンダリーニが翼の縛めをとき、彼女の最終目的地へ飛び立つ時、それはエゴにとっての自由でもあるのです。サマディは瞑想によるヨーガです。ヨギはエゴをクンダリーニとひとつにして、そうすることでそのヘビに乗り、究極の願い(不死、祝福、サハスラーラ・チャクラの静寂)、究極の動きとしてトゥリヤ(究極の寂静)へと向かいます。解放は、全てをアヴィディヤから自由とすることを達成することです。クンダリーニはもはや時間、縛られ、滅びる運命のエゴによって閉じ込められては居ません。エゴはクンダリーニ意識、今や真なる自己(アトマン、宇宙的意識)である彼女全体の光輝の中へ溶けて消え去ります。これが最終的な自己変容としてプレマ(真実の、そして永遠の宇宙的愛)とひとつになることなのです。 -Sharon Gannon 日本語訳 AKKIE