What is Yoga? yogash chitta-vritti-nirodhah -PYS 1.2 ヨーガ・チッタ・ヴリッティ・ニローダハ  このスートラはパタンジャリ師がヨーガをどう定義したかを示しています。:あなたが、自分の思考と心の動揺が自分自身そのものであると考えることを止める時、真なる自己によるヨーガ的な自己認識が現れます。それはサマディ、幸福、至福、そして喜びの境地です。  わぉ、なんという考え方でしょう!そしてこのシンプルで簡潔に述べられた考え方から、シンプルで簡潔な知識であるヨーガの哲学、方向性、方法論そして練習方法が誕生し、発達してきているのです。でももし私たちが、パタンジャリ師がこの一節を発表した後に書かれた何千、おそらく何万もの本のことまで考えに入れるとします。そうすると私たちはそれら全部を踏まえて、ヨーガとは何か?という疑問、たとえパタンジャリ師が四つのとても簡潔な言葉で私たちにその答えを与えているにもかかわらず、学者、練習者、献身的な人々に難問を与え、惑わせ続けている、その疑問に結論を出さなければなりません。しかし、言葉そのものは私たちの深い疑問に答えることができるでしょうか?  そうですね、私たちは少なくとも言葉に着目し、その意味するところをよく考えることができます。”yogash:それがヨーガである。”、”chitta:心の内容”、”vritti:心の不安定さ、もしくは動揺”、”nirodhah:心の動揺と自分を同一視することを停止する、手放すこと。”nirodhahによって、気づきのみならず“完全なるもの”との一体化も同時に訪れるのです。この神秘的な出来事は、その人の理解を変えることであり、あるいは小さな自己と大いなる自己に関する自己認識を変えるのです。  nirodhahとはヨーガの練習でもたらされるよう目指すものです。Nirodhahは一般的には止める、制止することを意味します。Nirodhahaはヨーガにおいては、あなたの性格や、様々な思考で構成された限定された自己が自分を同一化することを止めることを意味します。自己に関する思考が、自己に関する現実を創り上げているのです。Yogaとは大いなる自己との同一化です。それは死を免れることのできない自分の肉体、心、エゴ、人格とではなく、神聖で、永遠で、無限の、より高次の自己との同一化です。ヨーガの練習はatman(私たちの内側にある聖なる自己を意味するサンスクリット語)をavidyaあるいは誤った自己認識(高次の対象たる大いなる自己ではなく、低次の対象に自己を同一化すること)から自由にすることに関与しています。これらのヨーガの練習によって、nirodhahはもたらされます。そしてヨーガ練習者は大いなる自己、atman、内にある聖なる魂と共に、これこそヨーガであると認識するのです。  ヨーガは神秘的に生じるのです。あなたはそれを自ら生じさせることはできませんし、そこへ行って、つかみ取ることもできません。あなたはヨーガを“する”ことはできないのです。あなたにできることは手放すことです。そして、それは自ら姿を現すのです。なぜなら、それはいつもそこにあるからです。これがそれ、atmanであり、それが真実のあなたなのです。  あなたが、あなたの思考との自己同一化すること、あなたがあなたの思考によって規定されると思うこと、あなた自身があなたの思考そのものであると誤解すること、あるいはあなたがあなたの思考の集合体だと思うことを止めるときに、自然にヨーガはあなたを訪れるのです。自然にもたらされる聖なるatmanとの自己同一化は到達点となるでしょう。なぜならあなたが、考えたり感じたりできる全てを手放した後には何も残っていないからです。これが“ヨーガとは何か?“という設問へのパタンジャリ師の答えが逆説的である理由です。師は答えを与えていません。なぜなら答えは言葉では説明できず、気づきが現れ、現れ、そしてまた現れることに意識を向けた練習を通して、経験しなければならないからです。  ヨーガマットは経験を育むことに適した場所です。あなたの肉体がアサナを取っているとき、なにが心に去来していますか?-きつすぎるよ?ながすぎるよ?これは私に向いていないな?ももの後ろが堅いからこのアサナはやらないでおこう?おいおい、これを私にやれっていうの?結局、私にできるアサナは?どうして先生は後屈ばかりやらせるの?-それともあなたはただアサナにとどまり、考えや感じることを自分のコメントや判断なしに生じるにまかせることができますか?ヨーガ・スートラでパタンジャリ師は私たちにアサナを含む沢山の練習を与えています。その練習は私たちが本当は誰であるかを認識する手助けになり得ます。そしてそれによって、私たちの疑問は解決します。-そしてこれが手放すことで生じることであり、nirodhahなのです。  全ての重大な問題というのは基本的には解決不可能なのです。それらは解決できないどころか、問題は大きくなるばかりです。この問題の拡大は、より深い探求により意識の新たなるレベルとなるのです。より高度でより広い関心事がいくつか限界線上に現れ、そして解決不可能な問題は切迫したものではなくなり、新たなより力強い生への熱望に直面する時に、消え去っていくのです。 -カール・ユング(訳注:1875/7/26-1961/6/6 スイスの精神科医・心理学者。無意識を抑圧された個人意識が宿る場所と考えたフロイトと異なり、無意識を個人にとどまらない人類共通の素地を持つ広大な領域と考え、その力動を元型と名づけた。) -Sharon Gannon 日本語訳 AKKIE