音楽:宇宙の言葉 音楽は宇宙の言葉なのです。優れた、そして調和のとれた音(バイブレーション)を創造することにより、私たちは精神的な地平線(限界)を大きく広げることができます。それは、映画やテレビのようなつまらない、おまけに私たちを計画的に洗脳し、じわじわと毒し、心の明確さや透明性に悪影響を与える娯楽で時間を無駄にする代わりに、静かに座っているときでさえもできます。私たちの高潔な思考、慈悲に満ちた熱望、そして調和のとれた音(振動)により、私たちは植物、花々、鳥たち、そして動物達でさえも救うことができます。心からの親切、愛情をもって植物に水をあげ、鳥たちと動物達に食べ物をあげることでどれほどの喜びを感じることができるでしょう!ただそのような振る舞いを目にするだけでも言葉にできない喜びがもたらされます。日々生活におけるこれらの小さな優しさ、助け合いそして善行は無駄ではありません。それは貧しい人だけを援助するよりは、よりよい援助のかたちなのです。  貧困と現在の世界と人間性の苦境は、私たちの間違った思考、間違った認識、間違った行動、そして間違ったあらゆるものとの関係性の結果なのです。私たちの日々の生活におけるこれらの間違った心のありようを正すことなく、私たちの組織だった寄付行為や偏見のない慈善活動は貧困の問題と困難を取り除くことはできません。私たちの前庭を乗り越えることなく、私たちは宇宙的な善行の高潔な目的のため、より良い世界とより幸せな慈愛のために世界をより良くすることができます。あらゆる存在との正しい関係を築くことが最初のステップです。幸せであつれきのない生き方と調和の取れた音(バイブレーション)により、生は神聖で全ての存在への感謝となるのです。世界とその多様な問題にも関わらず、私たちは私たちの生における平安、自由、幸福、そして調和を見つけなくてはなりません。調和のとって歌うことやハミングすることは、その実現に向けた最も容易い方法なのです。  自然界のあらゆるところで、私たちには木の枝、草、花そして蔓がそよ風に吹かれて踊り、喜んでいるのがわかります。遙か遠い山々のこだまでさえも。流れの速い小川、ゆったりとした川の流れは水音を立てています。同じように、もし心や魂に躍動がなかったら、信じることも、平安も、詩や、自由、そして幸せは私たちの内にありはしないでしょう。私たちがステージで歌うこと、ハミングすること、踊ることは、私たちの内なる心と魂の踊り、喜びを外へ表現したものなのです。鳥たちでさえも楽しげな歌をあちらこちらで歌っているのです。子供達は世界中で歌います。天使達は神を讃えて歌うのだと言われています。  私たちは何故、生の歌を私たちなりの方法で歌わず、またその歌を魂で聞くこともないのでしょうか?それがもたらす喜びは言葉で表すことは出来ません。ただ魂が空っぽで不毛なことが生の喜びの歌を歌うことを妨げ、それでいて魂は歌いもせず、ハミングもしない言い訳で一杯なのです。私たちは生そのものが生ける詩であると悟らなければなりません。もし私たちが豊かな生を望むなら、毎日の生活にもっと音楽と詩が必要なのです。  世界は鏡のようなものです。もし私たちがそれに向かって顔をしかめれば、しかめっ面が返ってきます。でももし笑いかければ、笑い返してくれるのです。聡明な方法で生きるなら、私たちは自分の内に沢山の喜びを得るだけでなく、遠くでも身近でも全ての存在に恩恵を与えることで慈愛に満ちた王国を打ち立てることにも寄与できるでしょう。太陽は遙遠くにありながら、暖かさと光、そして語り得ないほど多くの恩恵を創りだしているのです。  私たちは全ての存在の幸せのための神の愛と平安の道具の役目を果たしましょう。この素晴らしい生き方により、音楽と詩、甘美、調和、そして他とあつれきのない生の、生き生きとした本質が現れるのです。これこそが生に求めるものの全てでしょう? -スワミ・ニルマラナンダ、「A Garland of Forest Flowers, 1993(森の花の花冠)」より抜粋 日本語訳 AKKIE