「全ての人を愛し、真実を語る」 vitarka-badhane prati-paksha bhavanam (ヨーガ・スートラ第2章第33節) ネガティブな感情に心を乱されたなら、ポジティブな感情を持ちなさい。  Ram Dass(※1)は彼のグル(師)であるNeem Karoli Babaに悟りについて訪ねました。”悟るために私は何をすれば良いのでしょうか。”そしてマハラジはお答えになりました。"全ての人々を愛し、真実を語りなさい。"そのため、ラム・ダスは師がおっしゃったことを真剣に受けとめ、この実践を試みたのです。でも、数日後、彼はマハラジの元に戻ってきて言ったのです。"先生のおっしゃったことを行いました。そして見出した真実は、私は全ての人々を愛してはいないということでした。" ※1 Ram Dass (ラム・ダス)特定の宗教に属さない普遍的なスピリチュアリティに関する著名なリーダ。代表作「Be here now」邦訳有り。  ラム・ダスが語ったこのような真実は、偽り、あなたと悟りとの間に横たわる偽りなのです。あなたのネガティブな感情が自分自身そのものと考えること、あなたの怒り、失望、憎しみ、反感、あるいは哀しみを認めることは真実なのです。私は怒っている、失望している、あるいは悲しんでいると言葉にすることは、自分自身を納得させる手段であり、私たち自身が本当は誰であるのかということについて偽る方法なのです。私たちの大多数の人は、ネガティブな感情がどこから来るのか、私たちがそれを感じるのか感じないのか選ぶことが出来るのですが、それは単に与えられた選択肢ではないということを理解するためのトレーニングを受けたことがありません。でも、それにも関わらず、私たちの条件付けと習慣による条件付けの強化により、ネガティブな感情がわき起こってきた時には私たちはそれを感じ取り、その瞬間にそれが真実であると見なすのです。ネガティブな感情の存在はとても強く、無視することは難しいものです。同じように、あなたに対して攻撃的な人、例えば典型的ないばり屋は、無視してやり過ごすことが難しいでしょう。何故ならあなたは彼らのエネルギー波動の蜘蛛の巣に囚われているからです。つまりあなたは彼らの怒りを感じ、それがあなたを不安にさせるのです。威張り屋達は怒りのようなネガティブな感情で成り立っているので、あなたも、彼らの前にいることで怒りや怖れを自分自身と見なすのです。感情は人へ伝染しやすく、人が感情を感じる方法に影響を与えるのです。  なぜネガティブな感情が世の中に溢れているのでしょうか?それは満足感があるから、少なくともネガティブな感情が刹那的にでも生きているという満足を感じさせてくれるからです。これがネガティブな感情に中毒なる理由のひとつです。あなたは、怒りの感情があなたを盛り上げてくれるからこそ中毒になるのです。アドレナリンの分泌とも関係があり、あなたの心拍が早くなり、頭に血が昇り、それであなたは力を得たように感じるのです。いいことじゃないか、ですって?悟りや、存在の一体化の認識を求めている人には良くありません。何故なら、その力の向上はあなたが他の存在から分離しているという状態に正当性を与えることで、ますます孤立させるのです。ネガティブな感情は常に、他の存在からの孤立や分離の感覚を強化することであなたに精神的な影響を与えます。  私たちのほとんどは自分に力がないと感じるように育てられました。”立ち向かう私”、”私は全世界を相手に戦うための力を必要としている。”そしてあなたは中毒性に麻痺してきて、焦燥感に駆られてもっともっと刺激が欲しくなるのです。怒りは失望に繋がり、失望は不満に、不満は哀しみに、哀しみは憂鬱に、そしてどんどん落ち込むのです。負のスパイラルはあなたの心、身体、そしてホルモン分泌系と神経を手なずけてゆき、あなたの渇望に適合するようになります。そして終にはあなたは混乱、自己陶酔、自己嫌悪の暗い場所に囚われ、それらは自由、存在における平穏と安楽さに象徴される悟った意識の正反対のものなのです。  怒りやネガティブな感情はその時は正しさを感じさせます。でもラム・ダスは遂に判ったのです。そして彼は師が推奨した実践を続けることにしたのです。”それは正しくあることよりも自由であることに重きをおいたものでした。”  スピリチュアルな実践は、太陽の光をもたらし、暗闇を光で照らし、あるいは狭く拘束された場所を押し広げることです。このように全体性へと成長していくことは、苦しみがさらに苦しみに満ちたものへとなる状況に対処する新たな方法として困難なものとなるでしょう。スピリチュアルな実践のゴールは心の拡大であり、それは宇宙的な意識としてあなたの自意識が大きくなり、自分自身と他の存在との境界を溶かして全ての存在と一体になる場所です。私たちのハートのより深いところでは、私たちは全て根本的に同じことを望んでいるのです。あなたが誰であろうと関係ありません。あなたは今は仮に人の、犬の、猫の、鳥の、あるいは牛の身体を纏っていることでしょう。でもその外見の違いを超えて、全ての魂は愛を渇望しているのです。あなた自身を他の存在の中に見出す為には、友情や共感のようなポジティブな感情を養うことです。これは寛容さと、違いよりも共有しているものを見出す能力へと導き、それはあなたに繋がりの経験としての愛をもたらすでしょう。愛は私たちに真実をもたらし、真実とは”私たちはひとつである”ということなのです。 -Sharon Gannon 日本語訳 AKKIE