That’s It “Tat Twam Asi You are That” タットヴァンアスィ、あなたはそれである。 - Chhandogya Upanishad of the Sama Veda It’s gonna be alright It’s gonna be alright Darling, its gonna be alright うまく行くよ、 うまく行くよ、 ダーリン、うまく行くさ。 But who is it?—that you are talking to? that’s it—it’s that! でもそれって誰なの?あなたが話しかけているのは? あれはそれ、それはあれなのさ。 And you can’t name that any better than that Any better than it, cause that’s it—Tat Twam Asi そして、君はあれって言う以外に名前を付けられない。 それって言う以外には。なぜってそれはそれだから。-タットヴァンアスィ You are that, and that’s that You are it—that’s it, I am that, you are that It is that, and that’s that あなたはあれ、そしてあれはあれ。 あなたはそれ、あれはそれ。僕はあれで、あなたはあれ。 それはあれ、そしてあれはあれ。 It’s gonna be alright It’s gonna be alright Darling, it’s gonna be alright It’s just that—it’s always alright うまく行くよ、 うまく行くよ、 ダーリン、うまく行くさ。 それはただあれなんだ。それはいつだって大丈夫  私たちはよく、誰かの気を楽にさせるために”(それは)うまく行くよ大丈夫”と言いますね。そんな時、名前を付けたりはしません。例えば、”ジョンはうまく行くよ大丈夫”とか”マリーはうまく行くよ大丈夫”。その代わりに、”それは”うまく行くよ大丈夫といいます。何故なんでしょう。何故そんな風に言うのでしょう。私が思うに、”それ”が真実だからです。”それ”が”あれ”ということは常に自明で、うまく行っていて、悲しくもなく、傷ついておらず、怖れを抱いていなくて、寂しくもなく混乱してもいません。他方で”あなた”は、悲しんでいたり、傷ついていたり、怖れを抱いていて、寂しくて混乱しているでしょう。でもそれはあなたが、自分が本当は誰なのかを忘れている瞬間だけのことです。あなたが、あなたはその時まで、それ(永遠の存在、知識、祝福(サッチダーナンダ))であることを忘れていたのです。  私たちが苦しみに遭遇したとき、それは束の間の”真の自己”の忘却となります。真の自己は永遠です。それは縛られることがなく、無限の喜びです。それは生まれたことがなく、死ぬこともありません。そしてそれ故に、”それはきっとうまく行く”は不安を和らげるために最も効果があり、そして言葉にできる最も真実を現した言葉なのです。私たちは、誰でも、自分であるがゆえに苦しんでいます。私たちが苦しんでいるとき、本当の自分のことを忘れているのです。私たちは自分の肉体と心が自分であると考えています。このことはサンスクリット語ではアヴィディヤと呼ばれ、本当の自分のことを知らないということを意味します。ですからアヴィディヤとは自己認識の誤り(私たちは自分ではない誰かであると考えること)とも定義できます。私たちは皆、誤解しています。実際、私たちのほとんどは一生の間ずっと、あるいは何度生まれ変わっても、自分ではない誰かであると考えています。私たちは自分の肉体と心を含む、自分の個人性が自分であると思っています。私たちは自分が生まれてきて、何時の日か死に、その間で生きていると考えています。私たちはそれらの一生は登りと下りがあり、私たちにとって良い時も悪い時もあるということであきらめています。ですから、私たちが気にかけている誰かがその幾つもある悪い時のひとつに出会っている時、その人に優しさを示すと共に気を楽にさせるために”それ”はうまく行くよと言うのです。そしてそうすることで、私たちは自分自身が本当は”それ”であり、”それ”はうまく行くことを思い出させているのです。”それ”はいつもうまく行くのであり、それは”あれ”以外の何者でも無いのです。  タット・ヴァン・アスィ、あるいはアハム・ブラマスィ、はマハーヴァキャス、あるいはウパニシャッドの偉大な言葉のひとつです。本質的にそれはヨーガの教え全ての根底にあるヴェーダ哲学の要約であり、至高の自己と個別の自己とは同一であると述べています。Tat Twam Asi(タット・ヴァン・アスィ)とはウパニシャッドの究極の教えです。それらの3つの単語は、”That thou art”または”You are That”(訳注:いずれも”あなたはそれ”を意味する)と訳され、ヴェーダンタ哲学の教えの要約とされます。そしてそれらの言葉がひとりから他の人々へ語られる時、聖なる言葉として用いられるのです。タット・ヴァン・アスィ、あなたは真実の自己、あなたは聖なる存在。そう、That’s it!(そういうこと!)、そしてそれはうまく行くのです。 —Sharon Gannon 日本語訳 AKKIE