yaktva karma-phala-asangam / nitya-trpto nirasrayah karmany abhipravrtto’ pi / na-eva kimcit karoti sah Bhagavad Gita IV.20 ティヤクッヴァ カルマ–ファラ–アサンガン ニッティヤ-トュリプト–ニラスラヤハ                 カルマニ アビィプラヴリットウ ピ ナアエヴァ キムチット カロティ サハ (音読) 行動の成果を放棄した者にとって、行動は行動自体であり、結果に捕われる事が無いため、静寂さの中で何にも依存する事がない。 バガヴァッド ギータ 第4章20節 目的を達成に導くのは意志の力です。意図的に何かをするという事は、目的に基づいた行動をとるという事です。目的に基づいた行動とは、意識的な行動をとるという事です。注意を払うという事は、意図的な行動をとるという事なのです。–この行動の先には目的があります。偶然の一致を信じる人々は、注意を払った行動をしていないといえるでしょう。 高い意図を持ってヨガの練習をする事はとても大切です。何故ならば、全ての行動の結果は、その意図によって決定されるからです。アサナの練習を高い意図と共に行う事により、単なる身体の柔軟性と強化のみを目的とした体操を超えて、悟り(エンライトメント)を導く為の練習となるのです。 最近インターネットで、アメリカでのヨガブームについての記事を読みました。現在では2200万人もの人々がヨガの練習をしているそうです!その理由のトップ6は、柔軟性が欲しい、痩せるため、筋肉をつけるため、腰痛を和らげるため、若返り効果のため、ストレス解消でした。何百万人もを対象に収集された統計の中で、スピリチュアルを目的にした意図が無かったのです。 ヨガの練習の目的を 悟りを開く為(エンライトメント)、神聖なるものに近づく為、幸せと自由の貢献になる為と示す人はいなかったのです。 ヨガそのものは、何故あなたが練習をしているかを気にしません。長い期間練習する事によって、ヨガはあなたが意図する結果を与えてくれます。あなたが行動をしている時に何を考えているのか次第で、その行動の結果は決まります。あなた自身がその考えとなるのです。ヨガの練習でヨガの状態( 悟り、エンライトメント )を生み出したければ、ヨガの練習の意図自体がヨガ( 悟り、エンライトメント )でなければなりません。あなたはヨガ( 悟り )という目的にたまたま達成する様な事はないのです。あなた自身の全てをかけて願うべきなのです。 ヨガとは悟り、自己を超えた高い意識との繋がりです。私達自身がそれぞれ神聖なる者と繋がる道を探す必要があるように、私達はそれぞれに明確な高い意図を見つける必要があるのです。 あなたのヨガの練習を、神聖なるものに捧げることは意図を高める一つの手段です。あなたの練習を先生に捧げる事もまた、手段の一つです。先生の悟りの為にと言う意図を持ち、その目的の為に努力を尽くす事は自己中心的な思考からの脱出を導きます。練習を知り合いの誰かに捧げるという事は、自己中心な思考から、他人中心的な思考へと移行され、思いやりの心が生まれて、それは悟り( エンライトメント ) へと結びつきます。 悟りを開く ( エンライトメント ) とは “ 全てとの一体化 ” を実現し、他というコンセプトが無くなるという状態なのです。自己中心的な思考から脱出するための練習を意図する事により、ヨガへの道が開かれるのです ジヴァムクティヨガでは、クラスでよく練習の意図を立てるために        ”ロカ サマスタ スキノ バヴァンテュ” と唱え、その訳である “ この世の生きとし生ける全ての存在の幸せと自由の為に、自分の考え、言葉、行動が何らかの形でその幸せと自由に貢献できますように ” を加えます。 バガヴァッド ギータでは、ヨガを目指す者は行動の成果を放棄する事と述べますが、悟り( エンライトメント)への目的自体を放棄する事ではありません。賢い練習者は神聖なるものを信じ、無私無欲に誠実な行動をして、その結果を神聖なるものに託すのです。 —Sharon Gannon 翻訳;クマリ、パドミニ