vastu-sāmye citta-bhedāt tayor vibhaktaḥ panthāḥ 個々人は、同じモノをそれぞれの心の状態と投影に従った異なった方法で認識する。 全てのモノはそれ自身では空(クウ)であるが、見る側の見方によって現れる。 このスートラが述べているのは、私たちは自分自身で自らの現実を作り上げているということです。 私たちはなんてパワフルなのでしょう! このスートラの叡智を受け入れるのであれば、私たちは自身の生とこの世界に責任があるということになります。 それだけではなく、私たちは意識的に住みたいように世界を再構築し始めることができます。 しかし逆説的に世界は私たちのコントロースを超えたモノであるということに直面するのです。 この”シュンヤタ”あるいは空(クウ)の概念は、私たちをとても自由にし、力をもたらすのです。 私たちは非難の応酬を止めることができるだけではなく、自分自身を被害者意識から自由にできるのです。 責任と自由は同じコインの両サイドなのです。あなたはどちらか片方だけを取ることはできません。 私たちはそれぞれが人々、モノ、状況に意味を与える個人なのです。 このことを知ることで、私たちは神と偉大な存在へ身を捧げて、私たちが共有する世界へと愛を広げていくためにベストを尽くせるのです。 それが聖人ダライ・ラマが仰るところの”進化した自己の関心の持ち方”なのです。 それは私たち自身の進化した心と行動が楽しく、平和でかつ健康的な世界を作ることの妨げになるという怖れでしょうか。 この怖れに囚われることは、私たちの力を遠ざけ、生の贈り物を汚すことになります。進化こそが世界の絶望を癒すのです。 私たちの認識力を無意識的なものから意識的なものへと、そしてより進化したものへとシフトすることで、 世界を変革するとともに私たちのこの世界における破壊的な生き方を変えることでしょう。 ヨーガの練習によって、私たちの認識は純化されます。 私たちは心に感じるフラストレーションを落ち着かせ、そして私たちの判断や偏見、そして過去の思考や言葉や行動による条件付けなしに人々やモノを見ることができます。 私たちが自分の思考や感情、不満や心の浮沈によって自己を規定しなくなったときに、私たちは心の清澄と進化を経験することができるのです。 進化した心は存在の単一性つまりどれほど深くで全てが繋がっているかを認識するのです。 私たちは進化を、つまり明白さを見ます。私たちは真実、つまり純粋な意識と至福であるところの全てのものと全ての個々の永遠につながった本質を見ます。 私たちは母なる地球とそれぞれを分けることはしません。 従って、私たちが考え、話し、行うこと(あるいは考えずに、話し、行うこと)は、全員が共有する世界に影響を与えるのです。 マーチン・ルーサー・キングJr牧師の言葉によると、”私たちは相互関係の網の目に逃れようもなくとらわれており、たったひとつの運命の織物に編み込まれているのです。 ひとりに直接的に影響を与えたものは何であれ、全てのひとに間接的に影響を及ぼすのです。” 私たちが考え、話し、行うこと全てが現実世界に影響を与えるという考えを受け入れると、私たちの世界の中でのあり方と行動を変えるのです。 もっと意識的な選択を行い、意識的な関係を持ち始めましょう。 今まで気付かなかった繋がりを持ちましょう、例えば紙ナプキンと木々、プラスチックのバックと石油掘削ドリル、ハンバーガーと命あるものについて。 私たちは自分に問いかけ始めましょう、自分の選択、行動が世界の断絶を固定するのか、それとも世界をよりひとつにするのか。 私たち自身の断絶した関係を癒すことで、世界を癒す助けとしましょう。 もし私たちの関心が愛と共感の信念によって生きることに向けられるなら、私たちは分断の幻想の代わりに真実を、そして裁きの代わりに進化した心を選択するでしょう。 —Gabriela Bozic