A Mother’s Love 母の愛 Om sarva mangala-mangalye shive-sarvartha-sadhike sharanye tryambake gauri Narayani namo’stu te Durga Saptashati, chapter 11 我は、全てにおける幸運をもたらし、解放への欲求を満たすNarayaniという三つ目の神聖な母を讃える。彼女の祝福で、真実が目覚める。 彼女は、世界そのもの。人生における経験を通してのみ、その魂は完成され得る。この贈物、あなたの人生を光栄と思い、母なる自然に頭を下げる。 ドゥルガ サプタシャティ、チャプター11 ヒンドゥーとヨガ哲学によると、あなたの最初の先生でありグルはあなたの母親だといいます。あなたの人生を創造しているのはグルなのです。 私達は個々に自分の物理的な母親と異なる関係性を持っています。 恐らく自分の両親や保護者となる人達と口論や反対そして誤解といった事を子供の頃から経験してきたでしょう。 そしてそれらの衝突の中には、今でも解決されていない事柄もあるかもしれません。 先生というものは私達の人生の色んな方向から(方法で)、そして色んな場所からやってきます。 地球が創造の母であるように、産みの母が最初の先生だったのです。創造の力に感謝することは、あらゆる命を価値あるものとして見るということです。 人類の命のみに限らず、あらゆる生きとし生けるものの命を見るのです。 ヒンドゥー哲学では地球そのものを、母、神聖な母、あるいはマー(サンスクリット語で母、神聖な女性の意)とみなしています。 地球に生存するあらゆるものの生存のために、地球は空気、食物そして水を提供しているそれらの創造主なのです。 母(地球)と自分との現在の関係性を見てみたら、ひょっとしたら、産みの母との関係性にも同様の状況を見るかもしれません。 私達は衝突することもあるし、彼女(ここでは、地球と産みの母、両方を指していると思います)を無視することもあるし、彼女を心配させると分かっている事をする事もあります。 しかしながら、私達は、紛れもなく、産みの母と神聖な母の両方を通して自分の命(人生)の起源に結びついているのです。 ヒンドゥー教では、神々は幾度も化身します。神々の具現化は母としての役目と神聖な女性、あるいはシャクティ(サンスクリット語で女性原理、最高神の配偶者の意)との結びつき(の結果)なのです。 母の愛は無条件です。母は、私達の存在が彼女を傷つける存在と成るだろう事を美徳によって知っています。 それでも、母は全心で私達を育て支えるのです。毎年、何千という森の木々が切り倒され、海、川そして湖は汚染され、採掘のために地球には大きな穴が掘られたりしています。 それは地球そのものが搾取されているだけでなく、地球に存在する人類以外の生存物が搾取されているということなのです。 例えば、人間による乳製品の消費は、乳牛に受精を余儀なくさせ、産まれた子牛は産まれてすぐに取り上げられ、産後の牛は再度受精を余儀なくさせられます。 そうする事で牛乳を絶え間なく生産するのです。子牛の為にあった牛乳は、結果、人間によって搾取され他の人間の為に売られるのです。 地球と地球に存在する人類以外の生存物は、商品であって神聖な存在ではない、という信念から成る 乳製品産業の開発は、 私達全員にそして個々に影響していくことへの繋がりに価値を置く代わりに、産業のもつ潜在的な金銭に価値を置いているのです。 私達は、命は神聖なものだと言います。しかし、人間の多くは、いまなお、ある種の生命に他の生命よりも価値を置き、人類の生命が他の人類以外の生命よりも価値があるとする傾向にあります。 神聖な母に発生しているこの所有の感覚を変換するために、そして人類の本来の創造性をもって調和の取れた状態に戻るために、 必要なこととは、母(なる地球)がどんな形を取ろうとも、人間であろうと無かろうと、植物であろうと魂であろうと、 全ての命を受け入れること、認めること、そして敬うことです。ヨギは、あらゆる存在、 全宇宙の至るところも含めてこの惑星での生存を共に経験しているあらゆる存在との 、互いに有益な関わりのために、奮闘するのです。 母(なる地球)の力を敬い尊敬し、母を命あるものとして神として見ることは、離別を取り除き、私達の創造の源への結合へ近づくことになるのです。 ダウ ウィッタカー