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死に赴く時にOMを唱えよ。(あるいはOMへ向けての死)

もし人が死にゆくときにOMを唱えるならば、そのものは最高の帰結に達するだろう。
(バガヴァッド・ギータ第8章第13節)

 私はいつも、このバガヴァッド・ギータの一節にちょっと戸惑いを感じます。私が思うに、クリシュナは“私の名を唱えよ”仰ったはずでした。でもその代わりに“OM”を唱えよと勧めているのです。私の友人のクリシュナ信仰者たちがこう言うのをよく耳にしたたことがあります。“OMはヨギーかヴェーダンタ学習者のもの”。つまりクリシュナ信仰者のものではないということです。そして私はクリシュナに奉げられたマントラの多くがOMでは始まらず、他の神々のマントラはOMで始まることに気づいていました。でもとても興味深いことに、次の第17節では、クリシュナはこうおっしゃっています。“私こそは聖音OMである。”聖なる音の根源的な顕れは、OMとしてあり、言い換えるとOMを唱えることは神の御名を唱えることです。私が思うにこの節は指示を与えてくれているのです。その指示とは、死を迎えるときにどのようにして自らの魂肉体をOMの潜在力のなかへと意識的送り込むのかという方法です。

 クリシュナは最高度のヨギであり、彼の教えを理解するための最高の方法は彼が示す練習に、洞察がより経験を通して深まっていくように没頭することです。私のグルであるシュリ・ブラフマナンダ師はチャクラに関係したビジャ・マントラを教えてくださいました。彼のガイダンスに沿って、私はシャヴァーサナを自らの死に備えるための練習として行ってきました。仰向けに横たわり、最初の六つのチャクラ(根底のチャクラ(ムラダラ)から第三の眼(アジュナ)へと)を移動しながら、ビジャ・マントラを声に出して唱えます。そしてサハスラーラ・チャクラに到達したとき、OMを声を出さずに唱えます。このOMの暗唱は、私の意識を深いところから拡張された現実へと送り出すのです。その最後のOMの後には意味深い肉体からの離脱が起こります。全ての関節はゆるみ、緊張は解き放たれ、そしてとても広々とした感覚を覚えます。たぶんそれは、私が死とはどのようなものか想像し仮定するものに近しいのです。-私の呼吸は止まり、それと共に思考と感覚も。-私は身体が無いかのように浮遊しているかのように感じ、開放された魂。これは通常は一瞬しかもたないものですが、でも少なくとも最後にOM暗唱として頂点に達するビジャ・マントラを唱えることはハタヨガ・プラディピカでは悟りの初期段階に分類されるケヴァラン・クンバカ(呼吸と思考の自発的停止)を促進することであり、本当に驚嘆できることなのです。ほんの一瞬、ほとんど時間のない瞬間、私たちはヨーガを経験できます。それはあらゆる欲望からの自由であり、満たされているという感覚であり、何も必要ないという感覚です。あなたは通常の意味では呼吸を止めません、その代わりあなたは呼吸をする必要が無く、呼吸を捉えてあなたのなかに送り込む必要の無い段階まで進めることができるのです。良き死とは、平穏にそして方向感覚を持って死ねるということなのです。

 最後の心の中で唱えるOMに先立って、ビジャマントラを順番に唱えて関係する各チャクラとその身体の部分に集中するとき、私はいつも身体を通して、順番に、人生をたどっている気がします。それは我が家を掃除しているような感じです。もう必要の無いものを手放して、置く場所が無かったものを戻して、“家”はより整頓されて広々とします。それが私にとっては最後のOMへの準備なのです。私はあなたが他のチャクラとマントラを無視してただ寝そべって、心の中でOMを唱えることで同じ体験をできるというような近道ができるとは思いません。私が信じられないなら、ご自分で試してください。横になって息を吸い、そして声を出してOMを唱えながら息を吐き、そして省略した経験が身体の各部分にあるそれぞれのチャクラを呼吸とマントラという方法によって昇っていく方法と、本当の意味で等しいかどうか考えてください。

 死の過程において、それぞれの要素は身体から離れていきます。定められた連鎖に従って根底のチャクラの地の要素から始まり、上方へ向かって水、火、空、そしてより精妙な形態であるエーテルへと続きます。私が述べてきたシャバーサナの練習、つまりビジャマントラという手段で意識的に順序立てて上昇していく方法は、死の時には全ての人に起こりうる、でもヨギにとってはより意識的なものとできるだろう、要素の分解についての瞑想なのです。この過程は冒頭のバガヴァッド・ギータの第8章第12節で言及されていて、クリシュナはこのようにおっしゃっています。“肉体の各門を閉じよ。そして心を魂に導き、プラーナを頭部へ持ち上げよ。”

 プラーナが頭部にある最上部のチャクラにあるとき、もし私たちが正にその瞬間にOMを声に出して唱えたなら、私たちは魂を頭頂部、サハスラーラあるいは王冠チャクラを通して外部へ飛び立たせることができ、私たちの究極のゴールである悟りに至るでしょう。シャバーサナ、あるいは屍のポーズは重要な瞬間に向けての練習です。ムンダカ・ウパニシャッドは“OMは弓であり、矢は私たちの魂。ブラフマンが的であり、魂の目標である”と述べています。

 多くのヨーガ練習者にとって、シャバーサナはアサナの練習の休憩時間です。でも、練習者がシャバーサナの重要性を調べ始めたなら、意識的な練習、そして悟りの体験にさえ向けた明白な機会であると気付くでしょう。私たちが死に向けた練習をするなら、ヨーガの障害である死の恐怖(アビニヴェーシャ)から自由になることができます。そして良き死、宇宙的な意識であるマハ・サマディであり、サンサーラからの解脱-生まれ変わることの無い状態という究極のゴールの達成へと向かうことができるのです。

Sharon Gannon
日本語訳Rei & AKKIE