December.gif

サットサンガ

Sat-sangatve nissangatvam nissangatve nirmohatvam
Nirmohatve nishchala-tattvam nishchala-tattve jivanmuktih
Bhaja govindam bhaja govindam bhaja govindam mudha-mate
-Shri Adi Shankaracharya from Carpata-Panjarika

サットサンガトヴェ ニッサンガトヴァン ニッサンガトヴェ ニルモハトヴァン
ニルモハァトヴェ ニシャチャラタットヴァン ニシャッチャラタットヴェ ジヴァムクティ
ヴァジャ ゴヴィンダン バジャ ゴヴィンダン バジャ ゴヴィンダン ムダァマテ
-アディ・シャンカラチャリヤ師によるカルパタ・パンジャリカより

 “神と高潔な人々の集まりは、無執着を引き起こす。無執着により誤った考えからの自由がもたらされる。誤った考えからの自由により、人は変わることのない真実を体験する。変わることのない真実の体験により、人は今生きている生において悟りを得る。真実の私は意識の海である。これを認識することにより、人は、自分は肉体と心を持っているけれど、それらではないと感じる。ゴーヴィンダ(※インドの最高神、ヴィシュヌの別名のひとつ)を感じよ、ゴーヴィンダを感じよ、魂のなかに。おお、賢き者よ!”これはシュリ・ブラフマナンダ・サラスワティ師(※ジヴァムクティ・ヨーガ創始者であるシャロン・ギャノンとデビッド・ライフの師の一人)による私たちに霊感をあたえる、アディ・シャンカラチャリヤ師による長い詩の一節に対する翻訳/注釈です。

 この一節は多くのレベルで霊感を与えています。:目覚めることが可能であると信じている人たちと関わることによってあなたが目覚めることが可能になると示唆しています。あなたが悟りに対して集中している人たちと交流することにより、あなた自身のゴールに向けた発展が進むだけでなく、保証されるのです。あなたは悟りを得た魂、ジヴァムクタとして生きることができるのです。そうです!悟りはあなたが今生において達成することができるものなのです!神はあなたの魂のなかにあなた自身としていらっしゃるのです!だから魂から歌いましょう。Bhajaとは神の物語を歌い、語ることを意味します。そしてあなたが自らの魂に没入するにつれ、最愛の神へと近付くのです。この冒険は知恵ある人だけのためにあり、迷いの中にあり、いまだに肉体と心が聖なるものの本体である変わることのない真実と分かたれていると感じている人たちのためにあるのではありません。

 良い仲間と共にいること、サットサンガはシャウチャの練習になり得ます。シャウチャはパタンジャリ師がお示しになったニヤマのひとつで目覚め、あるいはヨーガそのものの発達をいち早くもたらす手助けとなります。シャウチャとは清潔であることです。あなた自身と周りの環境を清潔に保つことが、人がシャウチャの練習として出来ることのひとつです。また心の清潔さもあります。ヨギーにとって、汚れとはアヴィディヤあるいは真実の自己に対する無知のことです。あなたが無知であるなら、自分がはかない肉体と心のために存在しているのだと惑わされ、誤解してしまいます。その惑いはあなたが聖なる自己であることに目覚めることを妨げ、まして他の存在が聖なるものだと見なせなくなります。

 心を清潔に保つ一番良い方法のひとつは、あなたが心に表出するものに意識を向けることです。心は透明なクリスタルのようなものです。クリスタルはなんであれ近くにあるものの色に染まります。その色は周囲の環境の反映なのです。同じことがあなたの心にもあてはまります。心はあなたが表出する色に染まります。もしあなたが犯罪者と関わっていたら、あなた自身が犯罪者と変わらなくなり、刑務所に入ることになるでしょう。でも、ふつうはもっと潜在的な形で作用します。例えば、あなたが騒々しい内容(暴力やセックス)をテレビか映画を見るかあるいは本や雑誌で読んでいたら、あなたの心はそれらのイメージに慣れてしまい、そして以降のあなたの人生にネガティブな影響があるでしょう。それとは逆にあなたが霊感を与えて、ためになり、あなたのレベルを上げてくれる本や映画を読んだり見たりすることに没頭するのであれば、あなたのこころは浄化され始めることでしょう。意識的にあなたの話す内容を純化することもまた、あなたの心の中身にポジティブは影響を与えるでしょう。汚い言葉(神をひぼうしたり、肉体のパーツやセックスに関する言葉)と、同じように陰口や攻撃的な言葉を使わないようにすることもあなたの心を浄化するでしょう。

 サット(sat)とは真実を、そしてアンガ(anga)は結びつくことを意味します。ですからサットサンガ(satsang)とは真実に結び付けられることです。(satsangaは仏教における同意語です。)。伝統的にはサットサンガは悟りを得た人々の集まりを維持することであり、あなたとグルか聖人と共に過ごすことであり、あるいは聖人がお住まいになり、教えをお与えになっていた聖地への巡礼をすることです。もちろん、毎日24時間ずっと聖人と共に暮らすことは不可能です。ですからサットサンガの練習はあなたの時間内でできるだけのことをすることです。あなたは今すぐ仕事を辞める必要はありませんし、相手がヨギーではないからといって離婚して家族を捨てる必要もありません。あなたの自由な時間をどのように過ごすかをあなたが選ぶということであり、寛大な心で過ごすということです。あなたは仕事の後に毎日ヨガクラスに参加し、夜の瞑想クラスかキルタンに参加して神の御名をチャントします。あるいは毎週バガヴァッド・ギータのレクチャークラスに参加するのです。またはサンスクリット語のクラスを予約するか、スピリチュアルなリトリートに行くのです。サットサンガはもっと潜在的な形で行うこともできます。あなたのまわりに精神的に啓蒙してくれる本である、ヨーガ・スートラ、ハタヨーガ・プラディピカや聖人やヨギーの自叙伝、神秘的な詩を置き、それらを読むことです。あなた自身でサットサンガを始めることもできます。週に一度あなたの家に人を招いて共に瞑想の練習をするのです。あるいはあなたに霊感を与えた本の勉強会でも。

 ひとりよがりにならないように気をつけてください。あなたを他の人たちから区別して、他の人を無知で、悪い人で、汚れていると非難したり裁いたりするためにサットサンガを利用しないことです。サットサンガの目的はあなたの心を強く寛大なものとし、究極的にはあなたが全ての存在の中にある神をはっきりと見出し、気付くことです。そしてどんな状況でも寛いだ気持ちでいて、愛の光で照らすクリスタル、人々の問いに答える賢き人となるためなのです。

-Sharon Gannon
日本語訳 AKKIE